自分に自信を持ち、チームを信頼して、初めてプロになれる
昔の話だが、同僚から「仕事大変そうですね、手伝いましょうか」と言われて、反射的に断ってしまったことがあった。
当時のおれはソフトウェアのQA(品質保証)をしており、出来上がった製品のテストをしていた。同僚はプログラミングなど開発領域を担当していた。
おれは開発初級者としてその会社に入り、開発では戦力にならないがテストなら出来るだろうということでその仕事をしていた。テスト「なら」出来るという判断での配置がおれの自尊心を傷つけていた。それは、ある思い込みを自分の中に作った。
「おれは開発者としては役に立たないかもしれないが、テストのプロとしてチームに貢献している」
おれは、自分が初心者でないと思いたいがゆえに、自分がテストにおいて一流であり、おれの仕事は開発者には代替不可能だと 無理やり思い込んでいた 。この思い込みはおれの自尊心のために必要だった。もしおれの仕事が代替可能だとしたら、おれの自己評価は「テストのプロ」から「初心者プログラマー」に戻ってしまうことになる。だから、開発者に自分の仕事を手伝ってもらいたくなかった。そして、申し出を断ってしまった。
仕事は相変わらず忙しかったし、一人でこなせる量を超えていたので、おれは適当なところで見切りをつけてしまった。「いつもバグが出てないところだから、テストしなくてもいいだろう」と考え、テストを省略した。これはプロとして正しくない振る舞いだ。つまり、おれはプロとしての自尊心を優先するあまり、プロとして正しい振る舞いをしなかった。
自分が評価されていないのではないかという不安、自分の化けの皮が剥がされてしまうのではないかという不安、そういったものが、プロとしての正しいふるまいの邪魔をした。
どうすれば良かったのだろうか?究極の答えは 仕事に向き合う ということだと思う。QAエンジニアとしてのおれの職責は、プロダクトの品質を保証することだ。そのために必要なことは何でもやる。開発者にテストを手伝ってもらうのもその一つだ。だが、当時のおれは自分の自尊心が優先して、仕事に向き合うことが出来ていなかった。
もう一つの答えは 同僚を信頼すること だ。同僚はおれの化けの皮を剥がしたくて手伝いを申し出てくれたわけではない。同僚はただ、おれの仕事が大変そうだから声をかけてくれただけだ。おれは親切な申し出に対して、自分の技量を否定されるのではないか、あるいは自尊心を傷つけられるのではないかという恐怖心から警戒し、リスペクトとプロフェッショナリズムに欠けた行為をした。
もしおれがプロとして結果を出すことに専念し、同僚を一緒に仕事をする仲間として信頼できていたならば、おれはきちんと仕事を完遂できたはずだ。
この手痛い経験は、おれの中にある新しい信念を作った。プロフェッショナルらしい仕草を形作るのは、技量よりも自信や誇り、そして信頼であるということだ。自分に自信を持ち、自分の仕事に誇りを持ち、チームを信頼することで初めて正しい仕事が出来る。逆に、どれだけ仕事が出来たとしても、同僚に猜疑心を持ち、自尊心を傷つけられるのを恐れ、誇りの感じられない仕事をするような人は、プロを名乗る資格はない。
おれはわずかながらピープルマネジメントの経験もあるが、メンバーの自信や信頼を醸成するのは得意ではなく、チームの不和を生んだ。逆に、周囲の優れたマネージャーたちを見ると、モチベーションを高めたり、後押しをしたりするのがすごく上手いと感じた。
一個人のマインドセットとして自信と信頼を大切にすることはプロになるための必須条件だし、チームメンバー全員がそうあるように後押しするのはプロフェッショナルチームを作るためのマネージャーの役割なのだと思う。
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